公開: 2021年12月6日
更新: 2021年12月6日
第2次世界大戦後に、制定された日本国憲法では、「一生懸命に働く」という意味の「勤労」は、全ての国民の義務であり、権利であると定められている。この新憲法の制定過程においては、国民に「勤労の義務」を課すべきかどうかについて、議論があったと記録されている。
そのような議論があったにもかかわらず、憲法にこの文章を残したのは、産業化社会への適合を目指していた日本国民の総意として、二宮尊徳に代表される先人の教えに従い、国民全員が一丸となって働き、日本を復興させ、さらに米国などの先進国と肩を並べられるようにとの意識があったと考えられる。
しかし、産業化社会が終わりを告げ、世界は次の「新しい社会」へ入りつつある。「新しい社会」では、知識が重要な役割を担い、労働に従事する人々が、他の人々より質の良い知識を持ち、それを活かして経済活動を行う。この「他の人々より質の良い知識を持つ」人々は、社会全体のごく一部の人々である。
このことは、社会の全ての人々が働けるわけではないことを暗示している。ここで、「働く」とは、業務に従事して収入を得ることができない、「失業」状態にあることを意味するものではない。最近の日本社会で増えている「非正規社員」として雇用されているが、自分の受けた専門分野の仕事に就いているわけではないことなどを意味している。
知識が競争力になる「新しい社会」では、自分の本来の仕事に従事するまでに、これまで以上に長い専門教育と、長い期間のインターンシップなどの実務実習が必要になると考えられている。その「本来の仕事に就く」までの期間、生活のために従事する仕事と、「本来の仕事」を区別している。
「働く」ことは、もはや「義務」ではなく、「権利」でもない。人工知能技術の発達や、ロボット技術の発達で、従来は人間しかできなかったことを、人間以外の機械が行うことができるようになるからである。